ヒシマサヒデ

ヒシマサヒデ
欧字表記 Hishi Masahide
品種 サラブレッド
性別
毛色 黒鹿毛
生誕 1962年4月2日
死没 1980年
ヒシマサル
ハルヒメ
生国 日本の旗 日本北海道静内町
生産者 矢野吉男
馬主 阿部雅信
調教師 稗田敏男中山
競走成績
生涯成績 44戦14勝
獲得賞金 4153万8200円
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ヒシマサヒデ日本競走馬。同期にはキーストンダイコーターカブトシローなどがいる。

戦績

馬齢は旧表記で統一する。

現役時に重賞を5勝したヒシマサルの初年度産駒として、1962年4月2日に産まれた。直後の9月にはヒシマサルが不慮の事故で死亡したため、わずか2世代のみ残された数少ない産駒として、期待されて中央競馬稗田敏男厩舎に入厩した。

1964年12月16日に、大和田稔を鞍上にデビュー。この時はブッシャンの2着に敗れたが、「ヒシ」の主戦騎手であり、父のヒシマサルの主戦騎手でもあった小野定夫に騎手が替わった次のレースで勝ち上がり、明け4歳になって1月の特別戦でも勝利したが、脚部不安を発症してあとの2戦は精彩を欠き、秋まで休養に入った。

10月の中山競馬場のレースで復帰して12着に敗れたが、次第に調子を取り戻して11月の東京競馬場の条件戦で勝ちあがると、続くレースでも好走して、実力を発揮し始めた。

明け5歳の1966年1月に、特別戦をレコード勝ちしてオープン入りした後、続くオープンでブルタカチホを下し、いよいよ本格化してきたヒシマサヒデは、初めての重賞競走挑戦としてダイヤモンドステークスに出走したが、距離の限界もあって大敗し、次の中山記念でも8着と精彩を欠いたが、オープンをひと叩きの後に出走した安田記念では、スタート直後から先頭に立つと、父譲りの快速を発揮して完勝し、親子2代の重賞制覇を飾った。

オープンを2度叩いて挑んだ毎日王冠では、重馬場得意のセフトウェーに差されて2着に敗れ、続く目黒記念ではまたも距離の壁に泣いたが、次のオールカマーでは、60kgを背負いながらも、ハマテツソやカブトシロー、古豪グレートヨルカなどを尻目に快勝し、こちらも親子2代制覇となった。ただ、次走の有馬記念では、距離的にも無理があって8着に敗れた。

1967年、6歳になっての初戦となった京王杯スプリングハンデキャップでは、62kgのハンデであったが、8kg軽いハンデの2着馬に1馬身1/2の差を付けて勝利し、重賞3勝目を得た。しかし、それ以降のレースは常に負担重量との戦いになり、距離に不安がある目黒記念は、63kgのハンデもあって良いところ無く敗れた。次のオープンでは59kgで快勝したものの、再び63kgのハンデを背負わされた安田記念中山記念では、直線まで良く粘ったものの、ブッシャンとオンワードヒルに僅かな差で敗れ、その後のスプリンターズステークス京王杯オータムハンデキャップでは、1番人気に支持されたものの、良いところ無く敗北した。

その後2戦を挟んで出走した中山競馬場のオープンは、56kgという裸同然の負担重量もあって、リユウフアーロスを退けて久々の勝利を飾り、次のオープンでも57kgの恵量を得て、次走で有馬記念を制するコレヒデを破って連勝したが、結果的にこれが最後の勝利となった。

7歳になった1968年、まず金杯に出走したが、アタマ差でまたもオンワードヒルに屈した。この後、休養をはさみながらオープンを5戦したが、2着1回の成績が最高で、10月19日のオープンでフイニイの5着になったのを最後に引退した。

引退後

わずかな産駒しか残せなかった父ヒシマサルの種牡馬能力の優秀さを証明したヒシマサヒデは、その快速振りを後世に伝えるために種牡馬となった。内国産種牡馬には厳しい時代でもあったが、阿部オーナーはみずからの繁殖牝馬に積極的に交配して行き、やがて快速馬ヒシスピードを世に出して、種牡馬としても成功を収めるに至った。

主な産駒

血統表

ヒシマサヒデ血統(ベンドア系(エクリプス系) / 5代内アウトブリード (血統表の出典)

ヒシマサル
1955 鹿毛 日本
父の父
*ライジングフレーム
Rising Flame
1947 黒鹿毛 アイルランド
The Phoenix Chateau Bouscaut
Fille de Poete
Admirable Nearco
Silvia
父の母
カッター
1947 栗毛 日本
月友 Man O' War
*星友
セフトマス *セフト
月家

ハルヒメ
1957 黒鹿毛 日本
*ブラツクウヰング
Black Wing
1946 黒鹿毛 アメリカ
Balladier Black Toney
Blue Warbler
Taj Bibi Sickle
Black Queen
母の母
*ベリストリーム
Berrystream
1950 鹿毛 オーストラリア
Midstream Blandford
Midsummer
Cigarette Heroic
Gigolette F-No.6-e


外部リンク

  • 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ
啓衆社賞
最良スプリンター
優駿賞
スプリンター賞
最優秀スプリンター
JRA賞
最優秀スプリンター
最優秀短距離馬
日本の旗 安田記念勝ち馬
   

国際競走指定前:
01回(1951年) イツセイ
02回(1952年) スウヰイスー
03回(1953年) スウヰイスー
04回(1954年) フソウ
05回(1955年) クリチカラ
06回(1956年) ヨシフサ
07回(1957年) ヘキラク
08回(1958年) ラプソデー
09回(1959年) ヒシマサル
第10回(1960年) オンワードベル
第11回(1961年) ホマレボシ
第12回(1962年) トウコン
第13回(1963年) ヤマノオー
第14回(1964年) シモフサホマレ
第15回(1965年) パナソニック
第16回(1966年) ヒシマサヒデ
第17回(1967年) ブツシヤン
第18回(1968年) シエスキイ
第19回(1969年) ハードウエイ
第20回(1970年) メジロアサマ
第21回(1971年) ハーバーゲイム
第22回(1972年) ラファール
第23回(1973年) ハクホオショウ
第24回(1974年) キョウエイグリーン
第25回(1975年) サクライワイ

第26回(1976年) ニシキエース
第27回(1977年) スカッシュソロン
第28回(1978年) ニッポーキング
第29回(1979年) ロイヤルシンザン
第30回(1980年) ブルーアレツ
第31回(1981年) タケデン
第32回(1982年) スイートネイティブ
第33回(1983年) キヨヒダカ
第34回(1984年) ハッピープログレス
第35回(1985年) ニホンピロウイナー
第36回(1986年) ギャロップダイナ
第37回(1987年) フレッシュボイス
第38回(1988年) ニッポーテイオー
第39回(1989年) バンブーメモリー
第40回(1990年) オグリキャップ
第41回(1991年) ダイイチルビー
第42回(1992年) ヤマニンゼファー

国際競走指定後:
第43回(1993年) 日本の旗 ヤマニンゼファー
第44回(1994年) 日本の旗 ノースフライト
第45回(1995年) アラブ首長国連邦の旗 ハートレイク
第46回(1996年) 日本の旗 トロットサンダー
第47回(1997年) 日本の旗 タイキブリザード
第48回(1998年) 日本の旗 タイキシャトル
第49回(1999年) 日本の旗 エアジハード

第50回(2000年) 香港の旗 フェアリーキングプローン
第51回(2001年) 日本の旗 ブラックホーク
第52回(2002年) 日本の旗 アドマイヤコジーン
第53回(2003年) 日本の旗 アグネスデジタル

国際G1昇格後:
第54回(2004年) 日本の旗 ツルマルボーイ
第55回(2005年) 日本の旗 アサクサデンエン
第56回(2006年) 香港の旗 ブリッシュラック
第57回(2007年) 日本の旗 ダイワメジャー
第58回(2008年) 日本の旗 ウオッカ
第59回(2009年) 日本の旗 ウオッカ
第60回(2010年) 日本の旗 ショウワモダン
第61回(2011年) 日本の旗 リアルインパクト
第62回(2012年) 日本の旗 ストロングリターン
第63回(2013年) 日本の旗 ロードカナロア
第64回(2014年) 日本の旗 ジャスタウェイ
第65回(2015年) 日本の旗 モーリス
第66回(2016年) 日本の旗 ロゴタイプ
第67回(2017年) 日本の旗 サトノアラジン
第68回(2018年) 日本の旗 モズアスコット
第69回(2019年) 日本の旗 インディチャンプ
第70回(2020年) 日本の旗 グランアレグリア
第71回(2021年) 日本の旗 ダノンキングリー
第72回(2022年) 日本の旗 ソングライン
第73回(2023年) 日本の旗 ソングライン

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