尋陽郡

尋陽郡(じんよう-ぐん)は、中国にかつて存在した西晋から唐代にかけて、現在の江西省九江市一帯に設置された。

概要

304年(永興元年)、西晋により廬江郡尋陽県武昌郡柴桑県が分離され、尋陽郡が立てられた。尋陽郡は江州に属し、郡治は尋陽県に置かれた。307年(永嘉元年)、豫章郡彭沢県が尋陽郡に転属した。東晋の元帝のとき、尋陽郡に九江県上甲県が置かれた。東晋の末年、尋陽に僑置されていた松滋郡が松滋県となり、同じく弘農郡が弘農県となり、いずれも尋陽郡に属した[1]。後に尋陽県が廃止され、郡治は柴桑県に移された。

441年(南朝宋の元嘉18年)、弘農県が松滋県に併合された。宋の尋陽郡は柴桑・彭沢・松滋の3県を管轄した[2]

南朝斉のとき、尋陽郡は柴桑・彭沢の2県を管轄した[3]

589年開皇9年)、が南朝陳を滅ぼすと、尋陽郡は廃止されて、江州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、江州が九江郡と改称された[4]

621年武徳4年)、唐が林士弘を平定すると、九江郡は江州と改められた。742年(天宝元年)、江州は潯陽郡と改称された。758年(乾元元年)、潯陽郡は江州と改称された[5]

脚注

  1. ^ 晋書』地理志下
  2. ^ 宋書』州郡志二
  3. ^ 南斉書』州郡志上
  4. ^ 隋書』地理志下
  5. ^ 旧唐書』地理志三
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