谷洋一

谷 洋一
たに よういち
農林水産大臣の就任に際して公表された肖像写真
生年月日 1926年12月1日
出生地 日本の旗 日本兵庫県美方郡香美町(旧村岡町
没年月日 (2011-10-24) 2011年10月24日(84歳没)
死没地 日本の旗 日本兵庫県神戸市
子女 長男・谷公一(第100代国家公安委員会委員長、衆議院議員)

内閣 第2次森内閣
在任期間 2000年7月4日 - 2000年12月5日

内閣 第2次海部改造内閣
在任期間 1990年12月29日 - 1991年11月5日

選挙区 (旧兵庫5区→)
兵庫5区
当選回数 9回
在任期間 1976年 - 2003年


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谷 洋一(たに よういち、1926年大正15年)12月1日 - 2011年平成23年)10月24日) は、日本政治家。勲章は勲一等旭日大綬章正三位

農林水産大臣第30代)、北海道開発庁長官(第56代)、沖縄開発庁長官(第25代)、衆議院議員(9期)、兵庫県議会議員(2期)等を歴任した。

息子は第100代国家公安委員会委員長、衆議院議員の谷公一

概要

兵庫県美方郡村岡町(現香美町)生まれ。兵庫県立第一神戸商業学校(現兵庫県立神戸商業高等学校)卒業。28歳で町議会議員に初当選し、町議を3期、町長・兵庫県議会議員を2期ずつ務める。1976年第34回衆議院議員総選挙に旧兵庫県第5区から自由民主党公認で立候補し、当選。以後、9回連続当選。中選挙区時代の最大のライバルは、民社党佐々木良作(元民社党委員長)であった。

1990年、第2次海部改造内閣で北海道開発庁長官沖縄開発庁長官に任命され、初入閣を果たした。小選挙区比例代表並立制の導入に伴い、1996年第41回衆議院議員総選挙には新設された兵庫県第5区から立候補し、8選。2000年第42回衆議院議員総選挙でも、民主党公認の吉岡賢治、自由党公認の梶原康弘ら4人の対立候補に1人も比例復活を許さず、9選。選挙後に発足した第2次森内閣農林水産大臣に任命され、2度目の入閣を果たした。

2003年第43回衆議院議員総選挙には立候補せず、政界から引退した。なお、選挙区の地盤は息子の谷公一が引き継ぎ、公一は第43回衆議院議員総選挙で当選した。

2011年10月24日、膵臓がんのため、兵庫県神戸市の病院で死去[1]。84歳没。死没日をもって正三位に叙された[2]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 元衆院議員の谷洋一氏、死去 香美町出身 神戸新聞 2011年10月24日閲覧
  2. ^ 2011年(平成23年)11月21日付『官報』本紙。

関連項目

公職
先代
玉澤徳一郎
日本の旗 農林水産大臣
2000年
次代
谷津義男
先代
木部佳昭
日本の旗 北海道開発庁長官
第56代:1990年 - 1991年
次代
伊江朝雄
先代
木部佳昭
日本の旗 沖縄開発庁長官
第25代:1990年 - 1991年
次代
伊江朝雄
日本の旗 農林水産大臣 (2000年)
農林大臣
農林水産大臣
カテゴリ Category:日本の農林大臣・Category:日本の農林水産大臣
日本の旗 北海道開発庁長官 (1990年-1991年)
統合前
運輸大臣
建設大臣
建設院総裁
建設大臣
北海道開発庁長官
国土庁長官
統合後
2001年、運輸大臣、建設大臣、国務大臣国土庁長官は国土交通大臣に統合された。長官は国務大臣としての長官を表記。
日本の旗 沖縄開発庁長官(1990年-1991年)
沖縄開発庁長官
沖縄及び北方対策担当大臣
兵庫県の旗 旧兵庫5区選出衆議院議員(1947年 - 1993年) 国会議事堂
定数3
第23回
第24回
第25回
第26回
第27回
第28回
第29回
第30回
第31回
第32回
第33回
第34回
第35回
第36回
第37回
定数2
第38回
第39回
第40回
第1区
第2区
第3区
第4区
第5区
第6区
第7区
第8区
第9区
第10区
第11区
第12区
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