岩滝町

曖昧さ回避 この項目では、かつて京都府にあった町について説明しています。愛知県豊田市の地名については「岩滝町 (豊田市)」をご覧ください。
いわたきちょう
岩滝町
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岩滝町旗 岩滝町章
岩滝町旗 岩滝町章
廃止日 2006年2月28日
廃止理由 新設合併
岩滝町野田川町加悦町与謝野町
現在の自治体 与謝野町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 京都府
与謝郡
市町村コード 26462-8
面積 12.09 km2
総人口 6,692
(2005年6月1日)
町の木
町の花 アジサイ
その他のシンボル なし
岩滝町役場
所在地 629-2262
京都府与謝郡岩滝町字岩滝1792-1
座標 北緯35度33分55秒 東経135度09分11秒 / 北緯35.56539度 東経135.15292度 / 35.56539; 135.15292座標: 北緯35度33分55秒 東経135度09分11秒 / 北緯35.56539度 東経135.15292度 / 35.56539; 135.15292
岩滝町の位置
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岩滝町(いわたきちょう)は、京都府与謝郡にあった丹後ちりめんで栄えた地域であり、過去数回にわたり宮津市との合併が検討されたが、ちりめん等により財政が豊かであったこともあり、長年単独町制を維持していた。

2006年3月1日、近隣の与謝郡加悦町野田川町新設合併し、与謝郡与謝野町となった。旧岩滝町役場が与謝野町役場本庁舎となっている。

地理

京都府北部に位置し、東と北を宮津市に接し、北西に京丹後市と、南西に野田川町と接していた。加悦谷の入り口に位置し、日本三景の一つである天橋立も眺めることができた。

歴史

歴史的に宮津市と強いつながりをもっているが、近年は商圏が変化し、京丹後市などとのつながりが強くなっている。1889年(明治22年)の明治の大合併以来合併しておらず、全国的にも珍しい例であった。2006年3月には加悦谷3町が合併して与謝野町となった。

年表

  • 1889年(明治22年)4月1日:町村制の施行により、弓木村・岩滝村・男山村の区域をもって岩滝村が発足。
  • 1921年(大正10年)4月1日:岩滝村が町制施行して岩滝町となる。当時の人口は4,283人。
  • 1927年昭和2年)3月7日北丹後地震発生。約700戸のうち6割が倒壊または焼失した[1]
  • 1954年(昭和29年)6月1日:宮津町、栗田村、日置村、世屋村、養老村、日ケ谷村、府中村、吉津村が合併し、宮津市が発足。
※当初は岩滝町も合併協議に加わっていたが、経済的に自立可能であることなどを理由に次第に距離をとり始め、一方では阿蘇海天橋立の内海)を囲む隣接二村(府中村、吉津村)と合併し「橋立町」を成立させようと模索するも、最終的には独立の道を選ぶ。
  • 2006年(平成18年)3月1日:加悦谷3町で合併して与謝野町が発足し、岩滝町は消滅した。

産業

立地企業

出身有名人

脚注

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  1. ^ 峰山、網野、加悦、岩滝など壊滅『大阪毎日新聞』昭和2年3月8日号外(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p219 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)

関連項目

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