原文兵衛

原 文兵衛
はら ぶんべえ
1961年頃に撮影
生年月日 1913年4月29日
出生地 日本の旗 日本 東京府東京市神田区(現東京都千代田区
没年月日 (1999-09-07) 1999年9月7日(86歳没)
出身校 東京帝国大学法学部(現東京大学法学部
前職 警視総監
所属政党 自由民主党
称号 従二位
勲一等旭日桐花大綬章
配偶者 妻・原光子
親族 義父・町村敬貴
娘婿・中川雅治

日本の旗 第20代 参議院議長
在任期間 1992年8月7日 - 1995年7月22日
天皇 明仁

日本の旗 第13代 環境庁長官
内閣 鈴木善幸改造内閣
在任期間 1981年11月30日 - 1982年11月27日

選挙区 東京都選挙区
当選回数 4回
在任期間 1971年7月4日 - 1995年7月22日

その他の職歴
第17代 自由民主党参議院議員会長
(総裁:海部俊樹宮澤喜一
1991年 - 1992年
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原 文兵衛(はら ぶんべえ、1913年大正2年〉4月29日 - 1999年平成11年〉9月7日)は、日本の内務官僚政治家位階従二位勲等勲一等旭日桐花大綬章

参議院議長(第20代)、環境庁長官(第13代)、自由民主党参議院議員会長(第17代)、女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)の理事長等を歴任した。

妻の光子は町村農場創設者・町村敬貴の娘。元北海道知事町村金五は妻の叔父、衆議院議員町村信孝は妻の従弟にあたる。娘婿は参議院議員中川雅治

来歴

東京府東京市神田区(現東京都千代田区)生まれ。東京府立第四中学校、旧制浦和高等学校、東京帝国大学法学部卒業。1936年、内務省に入省し、警視庁に配属される。任官時の階級は警部補。部署は保安部交通課[1]。翌年警部に昇進するが、陸軍に入隊する[1]1940年中尉で除隊する[1]。除隊後は滋賀県警警務課長、鹿児島県特高課長を経て、1943年、警視庁に戻り、警務課長[1]、終戦後は内務省地方局事務官、総理庁事務官などを経て、警視庁交通部長などを歴任[1]1954年長野県警本部長、1956年神奈川県警本部長などを務め、1958年警察庁保安局長、警視庁警務部長となる[1]

1961年警視総監に就任する。4年間の在任中には吉展ちゃん誘拐殺人事件草加次郎事件の陣頭指揮を執り、また1964年東京オリンピックに際しては治安対策に尽力した。オリンピック終了後の1965年、警視総監を退任。同年10月公害防止事業団理事長となる[1]。理事長は1970年まで務めた。

1971年第9回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で東京地方区から出馬し、以後4期24年にわたり参議院議員を務める。1981年、鈴木善幸改造内閣で環境庁長官に任命され、初入閣を果たした。1991年海部俊樹総裁の下で参議院議員会長に就任し、宮澤喜一総裁の下でも再任される。1992年第16回参議院議員通常選挙では選挙対策の陣頭指揮を執り、マドンナブームの煽りを受けて惨敗した前回に比べ、獲得議席数を回復させる。選挙後、引退した長田裕二に代わり参議院議長に就任した。1993年第40回衆議院議員総選挙で自民党が敗北し宮澤内閣が総辞職に追い込まれ、非自民8党派による細川連立政権が発足したが、引き続き参議院議長の地位には留まった。

1995年第17回参議院議員通常選挙には出馬せず、政界を引退。原の地盤は、保坂三蔵が継承した。1996年秋に、勲一等旭日桐花大綬章受章[2]

1999年9月7日肺炎のため死去した。86歳没。

人物

  • 妻・光子の兄である町村泰男は、原の旧制浦和高等学校時代の後輩だった。商人の息子であった原は政界や官界には何の縁もなく、東京帝国大学卒業後、泰男を通じて町村金五口利きにより内務省への入省が叶ったと後に述懐している[3]
  • 警視庁警務課長であった当時、1945年3月10日東京大空襲を経験する。この時、警視庁の専属カメラマンであり、空襲の記録を担当していた石川光陽が決死の覚悟で撮影に赴く際、石川に対し「必ず生きて帰れ」と指示。石川は原の言葉を守って生き抜き、大空襲の惨状を伝える写真を残した。
  • サハリン残留朝鮮人帰還問題や「慰安婦」問題に代表される、いわゆる戦後処理問題の解決にも熱心に取り組んでおり、女性のためのアジア平和国民基金(アジア女性基金)の初代理事長を務めた。

選挙歴

当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第9回参議院議員通常選挙 1971年6月27日 東京都地方区 自由民主党 881,104 19.9 1/16 - -
第11回参議院議員通常選挙 1977年7月10日 東京都地方区 自由民主党 1,245,118 24.8 1/18 - -
第13回参議院議員通常選挙 1983年6月26日 東京都地方区 自由民主党 938,454 21.9 2/34 - -
第15回参議院議員通常選挙 1989年7月23日 東京都地方区 自由民主党 1,143,878 22.3 2/43 - -
当選回数4回

著書

  • 『警視総監の笑いと涙』立風書房、1976年9月30日。NDLJP:12409733。 (要登録)
  • 『以文会友 : 折り折りの記』[原文兵衛]、1982年11月3日。NDLJP:11924162。 (要登録)
  • 『元警視総監の体験的昭和史』時事通信社、1986年4月10日。NDLJP:11969552。 (要登録)
  • 『以友輔仁 : 続折り折りの記』[原文兵衛]、1995年4月29日。NDLJP:12764769。 (要登録)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g 『日本近現代人物履歴事典』465頁。
  2. ^ 「96秋の叙勲受章者 勳一等・勳二等」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
  3. ^ 『町村金五伝』390頁

参考文献

関連項目

外部リンク

  • 参議院会議録情報 第92回国会 安全保障及び沖縄・北方問題に関する特別委員会 第2号
  • 96 参院・公害及び交通安全対策特別委員会 1982/04/07
公職
先代
鯨岡兵輔
日本の旗 環境庁長官
第13代:1981年 - 1982年
次代
梶木又三
議会
先代
長田裕二
日本の旗 参議院議長
第20代:1992年 - 1995年
次代
斎藤十朗
先代
檜垣徳太郎
日本の旗 参議院予算委員長
1987年 - 1988年
次代
初村滝一郎
先代
久保田藤麿
日本の旗 参議院地方行政委員長
1974年 - 1976年
次代
上田稔
党職
先代
長田裕二
自由民主党参院議員会長
第17代:1991年 - 1992年
次代
斎藤十朗
官職
先代
小倉謙
日本の旗 警視総監
第65代:1961年 - 1965年
次代
中原歵
先代
小倉謙
日本の旗 警視庁警務部
1958年 - 1961年
次代
中原歵
日本の旗 環境庁長官(1981年-1982年)
環境庁長官
環境大臣
日本の旗 参議院予算委員長 (1987年-1988年)
日本の旗 参議院地方行政委員長 (1974年-1976年)
第1回
(定数8)
3年議員
偶数回
定数4
第2回
第4回
第6回
第8回
第10回
第12回
第14回
第16回
第18回
第20回
定数5
第22回
定数6
第24回
第26回
奇数回
定数4
第3回
第5回
第7回
第9回
第11回
第13回
第15回
第17回
第19回
定数5
第21回
第23回
定数6
第25回
↓:途中辞職、失職、在職中死去など、↑:補欠選挙で当選。
警視総監 (1961年-1965年)
大警視
警視総監
現・警察法
施行前
現・警察法
施行以後
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