1991年の日本ハムファイターズ(1991ねんのにっぽんハムファイターズ)では、1991年の日本ハムファイターズの動向をまとめる。
このシーズンの日本ハムファイターズは、近藤貞雄監督の3年目のシーズンである。
概要
前年と違って新戦力の投入もほとんどなく、開幕前の下馬評では「Aクラスは無理」という声がささやかれた。その予想通り、チームは5月まで3位と健闘するが6月に大きく勝ち越したダイエーに抜かれて4位に転落する。その後は開幕から低迷したオリックスが夏場から復調したこともあり、9月以降は完全にBクラスに定着。この年ロッテが最下位に沈んだこともあり終盤はダイエーとの4位争いとなったが、これに勝って5位転落は免れた。投手陣は大黒柱のエース西崎幸広が内転筋の怪我に苦しみながらもなんとか10勝を挙げ、柴田保光、2年目の酒井光次郎もローテーションを守り、前年から守護神の武田一浩も安定した成績を収めるなど健闘して防御率は3.72とリーグ3位。打撃陣では切り込み隊長の白井一幸が打率3割をマークしたほか、前年から4番のマット・ウインタース、前年2000本安打を達成した大島康徳、主砲の田中幸雄などが活躍したが本塁打は112本でリーグ5位に終わり、打率も.251の最下位と低迷した。投手陣の好投に打線が応えられず、貧打や接戦で負ける試合も多くシーズン負け越しの原因となった。結局3年間でAクラス入りすることなく、近藤監督は66歳の高齢もあって勇退した。後任には、OBで1973年の後期に監督を務めた土橋正幸が再び就任した。
チーム成績
レギュラーシーズン
オーダー変遷 | 開幕:4/6 | 5/1 | 6/1 | 7/2 | 8/1 | 9/1 |
1 | 遊 | 田中幸雄 | 遊 | 田中幸雄 | 二 | 白井一幸 | 二 | 白井一幸 | 二 | 白井一幸 | 右 | 鈴木慶裕 |
2 | 中 | 嶋田信敏 | 右 | 大内実 | 中 | 嶋田信敏[注 1] | 右 | 五十嵐信一 | 中 | 大内実 | 左 | 大内実 |
3 | 一 | 大島康徳 | 一 | 大島康徳 | 一 | 大島康徳 | 遊 | 田中幸雄 | 指 | 大島康徳 | 指 | ウインタース |
4 | 左 | ウインタース | 左 | ウインタース | 左 | ウインタース | 指 | ウインタース | 左 | ウインタース | 一 | ベイス |
5 | 指 | ベイス | 指 | ベイス | 指 | ベイス | 一 | 大島康徳 | 三 | 藤王康晴 | 三 | 小川浩一 |
6 | 二 | 五十嵐信一 | 三 | 中島輝士 | 右 | 中島輝士 | 左 | ベイス | 一 | ベイス | 二 | 五十嵐信一 |
7 | 右 | 中島輝士 | 二 | 小川浩一 | 三 | 森範行[注 2] | 三 | 中島輝士 | 右 | 鈴木慶裕 | 遊 | 田中幸雄 |
8 | 捕 | 田村藤夫 | 捕 | 田村藤夫 | 捕 | 田村藤夫 | 捕 | 田村藤夫 | 捕 | 田村藤夫 | 捕 | 田村藤夫 |
9 | 三 | 広瀬哲朗 | 中 | 嶋田信敏 | 遊 | 田中幸雄 | 中 | 嶋田信敏 | 遊 | 田中幸雄 | 中 | 嶋田信敏 |
| 投 | 西崎幸広 | 投 | 津野浩 | 投 | 柴田保光 | 投 | 松浦宏明 | 投 | 柴田保光 | 投 | 河野博文 |
[2]
1991年パシフィック・リーグ順位変動 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 |
1位 | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 近鉄 | -- | 近鉄 | -- | 西武 | -- |
2位 | 近鉄 | 3.0 | 近鉄 | 7.0 | 近鉄 | 4.0 | 西武 | 1.5 | 西武 | 1.5 | 近鉄 | 4.5 |
3位 | 日本ハム | 3.5 | 日本ハム | ダイエー | 7.5 | 日本ハム | 10.5 | オリックス | 15.5 | オリックス | 18.5 |
4位 | ロッテ | 4.0 | ダイエー | 10.5 | 日本ハム | 10.0 | ダイエー | 12.5 | ダイエー | 19.0 | 日本ハム | 28.5 |
5位 | ダイエー | 5.0 | ロッテ | 11.5 | オリックス | 12.0 | オリックス | 14.0 | 日本ハム | 19.5 | ダイエー | 29.0 |
6位 | オリックス | 8.5 | オリックス | 15.0 | ロッテ | 20.0 | ロッテ | 23.5 | ロッテ | 30.0 | ロッテ | 33.5 |
[1]
オールスターゲーム1991
詳細は「1991年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
- 田中幸雄
- 武田一浩
- 田村藤夫
- 白井一幸
- ウインタース
- 西崎幸広(出場辞退)
できごと
選手・スタッフ
日本ハムファイターズ 1991 |
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監督 | |
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コーチ | |
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二軍監督・コーチ | |
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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表彰選手
リーグ・リーダー |
選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
白井一幸 | 最高出塁率 | .428 | 初受賞 |
武田一浩 | 最優秀救援投手 | 22SP | 初受賞 |
その他 |
選手名 | タイトル |
白井一幸 | カムバック賞 |
ベストナイン |
選出なし |
ゴールデングラブ賞 |
選手名 | ポジション | 回数 |
田中幸雄 | 遊撃手 | 2年連続3度目 |
ドラフト
詳細は「1991年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
脚注
[脚注の使い方]
注釈
出典
- ^ a b “年度別成績 1991年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月14日閲覧。
- ^ 『日本プロ野球記録年鑑 ベースボール・レコード・ブック1992』ベースボール・マガジン社、1991年。ISBN 4-583-02951-9。
各年の北海道日本ハムファイターズ |
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |
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