韓圭ソル

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韓圭卨
한규설
生年月日 1856年2月29日
出生地 朝鮮国漢城府
没年月日 1930年9月22日
死没地 大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮、忠清北道・清州
称号 男爵(返上)

在任期間 1905年8月27日 - 1905年11月17日
皇帝 高宗

在任期間 1907年7月28日 - 1907年8月9日

大韓帝国 司僕寺壮衛使
在任期間 1884年8月1日 - 1892年9月30日
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韓 圭卨(ハン・ギュソル、かん けいせつ、朝鮮語: 한규설1856年[1][2]2月29日 - 1930年9月22日)は、朝鮮の政治家。李氏朝鮮末期には司僕寺(朝鮮語版)壮衛使、大韓帝国期には議政府参政大臣代理執政公などを歴任した。は舜佑、号は江石。本貫清州韓氏

経歴

生年についてははっきりとしないが、19世紀中頃に漢城府で生まれたとされる。1880年蔭位によって文官の下級官僚に推挙され、1884年には武科及第によって司僕寺壮衛使となった。同年、司僕寺主簿の李基東(朝鮮語版)弘文館副修撰の李道宰(朝鮮語版)成均館隷下講読官の申泰游(朝鮮語版)魚允迪(朝鮮語版)李秉武李載克(朝鮮語版)などとともに、甲申政変の鎮圧にあたっている。鎮圧勢力の中心にいた韓圭稷(朝鮮語版)は彼の実兄である。その後は、1892年より漢城府捕盗庁の右辺官衙捕盗大将(右捕将)を務め、1896年に右営使に任じられた[3]

1905年、韓圭卨は議政府参政を改称して創設された議政府参政大臣に就任し、内閣を組閣した。このころ、韓国保護国化を計画していた日本は、7月の桂・タフト協定、8月の第二回日英同盟締結、9月のポーツマス条約調印などにより、列強各国に韓国保護国化の承認を取り付けていた[4]11月15日、特派大使である伊藤博文が高宗に内謁し、明治天皇による保護条約(第二次日韓協約)調印についての親書を奉呈した[5]。16日に高宗は参政大臣の韓圭卨をはじめとする各大臣を招集して、協約締結についての可否を諮った。このとき韓圭卨は、外部大臣の朴斉純とともに締結への反対意見を上奏している。また、同日伊藤と会談した際には、「日韓両国の関係は其内容に於て如何に規定せらるるも敢えて辞せず。唯だ其形式上に於て少しく余地を存せられんことを望む。夫れ韓国現下の状況は気息奄々瀕死に等し。唯だ纔に一縷の余命を存せるは一に是れ外交関係を親らするに在るなり。其外交をすら貴国に委任せんか全く命脈断絶するの悲境に沈むべし」[6]、現在瀕死状態にも等しい韓国が外交権まで日本に取り上げられたら、いよいよ国家として存続することができないと訴えたが、伊藤は聞き入れなかった。11月17日、在韓公使の林権助・韓国駐箚軍司令官の長谷川好道とともに慶運宮に参内した伊藤は、再び各大臣と会談して協約締結の賛否を尋ねた。臨席した内部大臣李址鎔・学部大臣李完用・法部大臣李夏栄・農商工部大臣権重顕・軍部大臣李根沢が締結やむなしとするなかで、韓圭卨および度支部大臣閔泳綺は改めて条約締結を拒絶している[7]。伊藤は詰責して締結を迫ると、韓圭卨は精神衰弱に陥り、両手で顔を覆いながら号哭した[8][7][9]。なおも拒絶の意を示した韓圭卨は会談の場から宮中の漱玉軒に連れ出され、18日の午前1時半までその場に留め置かれた。その間に外部大臣の朴斉純が協約に調印したが、この報告を聞いた韓圭卨は、参政大臣の承認も皇帝の裁可もない協約は無効だとして、関係大臣の免官手続きを取った。しかしながら、高宗の御前での一連の振る舞いが道理に欠くという理由から、実際に罷免されたのは関係大臣ではなく韓圭卨自身だった[10][11]。参政大臣罷免後も、一貫して協約に反対の立場をとり続けた。

その後は中枢院顧問や宮内府特進官を歴任し[10]1910年韓国が併合されると男爵に列せられた[12]。しかし、1912年12月6日に男爵位を返上すると[13]、以降は公職を離れて隠居生活を送った。1914年には、前年4月に京城府の道路改修工事に際して水田280坪を寄贈した功績から、朝鮮総督府より木杯を下賜されている[14]1919年三・一独立運動が起こると、京城地方法院で行われた関係者への裁判に崔麟の証人として出廷した[15]1920年李商在らと朝鮮教育協会を設立してからは教育運動に関わるようになり、1920年代に李商在や尹致昭(朝鮮語版)とともに民立大学設立運動(朝鮮語版)を展開した[16]1930年9月22日に忠清北道・清州で死去。現在、韓圭卨の墓所は京畿道高陽市徳陽区元興洞に位置しており、1986年6月16日韓圭卨先生墓(朝鮮語版)として高陽市郷土文化財(朝鮮語版)第25号に登録された。

親族

  • 父:韓承烈
    • 兄:韓圭稷(朝鮮語版) - 甲申政変で殺害された。
    • 妹:ハン・ジンホ - 青松沈氏(朝鮮語版)の沈圭燮に嫁ぐ。
      • 長男:韓亮鎬 - 京城女子商業学校(朝鮮語版)(現在のソウル女子商業高等学校)創設者。
      • 長男の嫁:延日鄭氏(朝鮮語版)の女。
        • 孫:韓学数
      • 長女:安東権氏(朝鮮語版)の権寧徳に嫁ぐ。
      • 次女:豊壌趙氏の趙万九に嫁ぐ。

脚注

  1. ^ 韓圭卨の出生年は1848年とする説もあるが、ここでは清州韓氏の系譜をもとにした、『参政大臣江石韓圭卨先生伝記(참정대신 강석 한규설 선생 전기)』(黄沍根、韓国資料文化研究所、1991)による。
  2. ^ “『承旨先生案』(奎9731)”. 2016年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年9月20日閲覧。
  3. ^ 「臨時代理公使高平小五郎報告朝鮮国庁報抄訳ノ件」『公文雑纂・明治十九年・第八巻・外務省・在外公使報告三(英国公館・仏国公館・米国公館・清国公館・布哇国)』、外務省、2021年11月4日閲覧 
  4. ^ 武田幸男 編『朝鮮史』山川出版社〈新版世界各国史2〉、2006年、259頁。ISBN 4-634-41320-5。 
  5. ^ 李成市宮嶋博史糟谷憲一 編『朝鮮史2』山川出版社〈世界歴史大系〉、2017年、60頁。ISBN 978-4-634-46214-4。 
  6. ^ 「10 伊藤特派大使遣韓ノ件」『日本外交文書』第38巻第1号、外務省、1958年9月30日、491頁、2021年11月6日閲覧 
  7. ^ a b 「11 日韓協約締結並統監府設置ノ件 附 在韓各国公使館撤廃ノ件」『日本外交文書』第38巻第1号、外務省、1958年9月30日、534頁、2021年11月6日閲覧 
  8. ^ 霞南小松緑『近世秘譚偉人奇人』学而書院、1934年、169頁。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12326242021年11月6日閲覧 
  9. ^ “【その時の今日】「甘えたら殺せ」…恐怖の中の乙巳勒約”. 中央日報 (2009年11月18日). 2021年11月6日閲覧。
  10. ^ a b “한규설”. 斗山世界大百科事典. 2021年11月5日閲覧。
  11. ^ “「日本の圧力で乙巳条約を締結」「源泉無効」国際論争に再点火”. 東亜日報 (2005年11月17日). 2021年11月5日閲覧。
  12. ^ 「授爵・敍任及辭令」『官報』第8191号、1910年10月8日、196頁、2021年11月5日閲覧 
  13. ^ 「敍任及辭令」『朝鮮総督府官報』第109号、1912年12月10日、78頁、2021年11月5日閲覧 
  14. ^ 「彙報-官廳事項-褒賞」『朝鮮総督府官報』第664号、1914年10月19日、274頁、2021年11月6日閲覧 
  15. ^ “韓圭卨 訊問調書”. 국사편찬위원회. 2021年11月6日閲覧。
  16. ^ 이이화, 《한국사 이야기 20:우리 힘으로 나라를 찾겠다》 (이이화, 한길사, 2006) 290페이지

外部リンク

太祖朝
  • 領門下府事趙浚(1395.2.1-8.21)
定宗朝
  • 門下左政丞沈徳符(1399.12.1-1400.3.14)
  • 王世子靖安大君李芳遠(1400.3.14-11.13)
太宗朝
  • 王世子李禔(1412.2.29-1413.1.9)
  • 領議政府事成石璘(1413.1.9-2.15)
  • 王世子李祹(1418.7.1-7.8)
  • 領議政府事韓尚敬(1418.7.8-7.20)
世宗朝
  • 上王李芳遠(1418.9.9-1422.5.10)
  • 領議政府事柳廷顕(1422.5.10-6.8)
  • 領議政府事黄喜(1432.2.29-1433.5.7)
  • 王世子李珦(1442.5.15-1450.3.30)
文宗朝
  • 領議政府事河演(1450.10.5-1451.7.13)
  • 敬寧君李裶(1451.7.13-7.20)
  • 諴寧君李䄄(1451.7.20-7.28)
  • 領議政府事皇甫仁(1452.2.29-5.14)
端宗朝
  • 領議政府事皇甫仁(1452.5.14-6.6)
  • 左議政府事金宗瑞(1452.6.6-1453.10.10)
  • 領議政府事・首陽大君李瑈(1453.10.10-1455.6.30)
世祖朝
  • 領議政府事姜孟卿(1460.2.15-2.29)
  • 右議政康純(1467.9.25-9.28)
  • 領議政崔恒(1467.9.28-10.8)
睿宗朝
  • 龜城君李浚(1468.9.26-1469.1.23)
  • 領議政韓明澮(1469.1.23-2.20)
成宗朝
燕山君朝
  • 領議政李克培(1494.12.24-1495.3.24)
  • 安順太妃清州韓氏(1495.3.24-4.25)
  • 仁粋大妃清州韓氏(1495.4.25-5.26)
  • 領議政盧思慎(1495.5.26-9.16)
  • 領議政慎承善(1495.9.16-1500.4.11)
  • 領議政韓致亨(1500.4.11-4.13)
中宗朝
  • 左議政朴元宗(1506.9.24-1507.1.8)
  • 領議政柳洵(1507.1.8-1509.9.27)
  • 領議政朴元宗(1509.9.27-1510.3.6)
  • 領議政金寿童(1510.3.6-1512.7.7)
  • 領議政柳順汀(1512.10.7-12.20)
  • 領議政成希顔(1513.4.2-7.27)
  • 王世子李峼(1543.3.24-1544.11.28)
仁宗朝
  • 領議政洪彦弼(1545.1.13-1.16)
明宗朝
宣祖朝
光海君朝
  • 王世子李祬(1619.11.8-1620.1.8)
  • 領議政朴承宗(1620.1.8-2.29)
仁祖朝
  • 興安君李瑅(1624.2.18-2.21)
  • 領議政李元翼(1624.2.21-4.21)
  • 領議政金自点(1646.12.1-1647.3.1)
  • 王世子李淏(1647.3.1-1649.6.17)
孝宗朝
  • 領議政鄭太和(1653.5.22-1654.9.6)
顕宗朝
  • 領議政鄭太和(1659.6.28-1660.2.29)
粛宗朝
  • 領議政許積(1674.8.18-10.23)
  • 左議政睦来善(1689.2.9-2.16)
  • 領議政権大運(1689.2.16-2.23)
  • 王世子李昀(1717.3.2-1720.6.8)
景宗朝
  • 領議政趙泰耉(1721.12.22-1722.3.24)
  • 王世子李昑(1717.3.2-1720.6.8)
英祖朝
  • 密豊君李坦(1728.4.8-4.25)
  • 領議政李光佐(1728.4.25-6.18)
  • 王世子李愃(1749.9.8-1762.5.12)
  • 領議政申晩(1762.5.12-8.21)
  • 王世孫李祘(1775.2.8-1776.3.5)
正祖朝
  • 都承旨洪国栄(1776.3.5-1779.9.26)
  • 領議政金尚喆(1779.9.26-9.29)
  • 領議政徐命善(1779.9.29-1780.1.2)
純祖朝
  • 領議政沈煥之(1800.6.28-10.10)
  • 貞純大妃慶州金氏(1800.10.10-1803.12.8)
  • 領敦寧府事金祖淳(1803.12.8-1804.3.29)
  • 領議政李秉模(1804.3.29-1805.12.8)
  • 王世子李旲(1827.1.8-1830.5.6)
  • 領議政南公轍(1830.5.6-1831.5.6)
  • 領議政沈象奎(1834.11.13-12.13)
憲宗朝
哲宗朝
  • 領議政鄭元容(1849.6.6-8.6)
  • 純元大妃安東金氏(1849.8.6-1851.8.21)
  • 領議政金興根(1851.8.21-1852.2.29)
高宗朝
  • 神貞大妃豊壌趙氏(1863.12.8-1864.1.13)
  • 領議政金左根(1864.1.12-1.16)
  • 興宣大院君李昰応(1864.1.16-1866.2.13)
  • 領議政趙斗淳(1866.2.13-3.26)
  • 興宣大院君李昰応(1866.3.26-4.13)
  • 領議政李景在(1866.4.13-1867.5.18)
  • 領議政金炳学(1867.5.18-1869.4.11)
  • 領議政鄭元容(1869.4.11-4.21)
  • 興宣大院君李昰応(1869.4.21-1872.11.16)
  • 領議政李裕元(1873.11.16-12.3)
  • 興寅君李最応(1881.9.28-1882.1.13)
  • 領議政洪淳穆(1882.8.29-1883.6.7)
  • 完興君李載冕(1883.6.7-6.18)
  • 領議政金炳国(1884.5.25-10.2)
  • 領議政沈舜沢(1884.10.21-1885.1.9)
  • 總理大臣金弘集(1894.6.25-7.19)
  • 永宣君李埈鎔(1894.7.19-7.27)
  • 王世子李坧(1894.8.28-9.8)
  • 内部大臣朴定陽(1895.8.20-10.8)
  • 興宣大院君李昰応(1895.10.8-10.11)
  • 総理大臣金弘集(1895.10.11-1896.2.11)
  • 王世子李坧(1896.7.25-12.2)
  • 総理大臣尹容善(1901.12.19-1902.1.23)
  • 総理大臣李根命(1895.10.11-1896.2.11)
  • 皇太子李坧(1906.1.1-1.8)
  • 皇太子李坧(1906.2.1-3.21)
  • 皇太子李坧(1906.10.12-10.20)
  • 皇太子李坧(1907.1.19-7.19)
純宗朝