紀文幹
凡例 紀 文幹 | |
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時代 | 平安時代中期 |
生誕 | 不明 |
死没 | 天慶7年9月2日(944年9月21日) |
官位 | 従五位下・信濃守 |
主君 | 朱雀天皇 |
氏族 | 紀氏 |
父母 | 父:紀淑光 |
兄弟 | 文煥、文利、文実、文幹、文慶、文相、文輔 |
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紀 文幹(き の ふみもと)は、平安時代中期の貴族・歌人。参議・紀淑光の子。官位は従五位下・信濃守。
経歴
天慶7年(944年)信濃国に国司(信濃守)として下向したが、到着した当日は暴風雨が吹き荒れており、国衙が倒壊し、その下敷きとなり圧死した[1]。最終官位は信濃守従五位下。
『拾遺和歌集』春の部に承平4年(934年)詠じた屏風の歌一首が掲載されている。
脚注
[脚注の使い方]
- ^ 『日本紀略』天慶7年9月2日条
参考文献
- 『扶桑略記』