石川 義房(いしかわ よしふさ、生没年不詳)は、戦国時代の武将。通称太郎左衛門[1]。
天正7年(1579年)8月29日、徳川家康の命を受け浜松城へ築山殿、野中重政らと同行し、道中殺害された築山殿の検使を担当した。[1]
義房、岡本時仲らはみな神仏の罰を被り病を発症し、或いは身内に不幸が起こったと言う[2]。