玉村健次

玉村 健次(たまむら けんじ、1961年1月16日 - )は、大阪府出身の元ハンドボール選手、指導者。1988年ソウルオリンピックハンドボール全日本男子代表。

来歴

大阪商業高校(現大商学園高等学校)、大阪体育大学出身。大学在籍中の1980年に全日本ジュニアに選ばれている。

卒業後、奈良県教員を経て湧永製薬に入社。同社ハンドボール部(ワクナガレオリック)に所属。2009年現在、日本リーグ通算得点第12位[1]、2008年まで湧永における歴代最多得点者でもあった[2]。また、日本リーグにおける1試合内個人最多得点記録(22点)[3]を持っている。 全日本では1988年ソウル五輪代表同大会で得点ランキング3位となる。1990年チェコスロバキアで行われた世界選手権代表に選ばれている。

その後はドイツブンデスリーガ シュッターバルドでプレー、2部にいたチームを優勝に導き1部に昇格させる活躍をする[4]

また、引退後は指導者としても活躍。ジュニアアジア選手権大会コーチを務めた後、1999年から日本オリンピック委員会スポーツ指導者海外研修員として、スウェーデンヨーテボリへ留学している[5]。2000年から日本ハンドボール協会入りしU-19日本代表とU-21日本代表監督を歴任した[6]

2011年から古巣湧永監督を務める[6]。 2012年12月大阪で開催された全日本総合ハンドボール選手権では湧永製薬に 8年振りの優勝をもたらせた。

2023年日本リーグ参入を目指すクラブチーム堺リエゾン大阪の監督に就任する。

脚注

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  1. ^ “通産得点”. 日本ハンドボールリーグ公式. 2009年9月9日閲覧。
  2. ^ “山口監督出場で603ゴール達成 湧永歴代トップ”. 中国新聞 (2008年9月22日). 2009年9月9日閲覧。
  3. ^ “記録・過去の成績”. 日本ハンドボールリーグ公式. 2009年9月9日閲覧。
  4. ^ “湧永OB 玉村健次さん”. 広島ハンドボール応援プログラム HAND'S TWO HANDS (2009年8月5日). 2009年9月9日閲覧。
  5. ^ “スポーツ指導者海外研修員”. JOC公式. 2009年9月9日閲覧。
  6. ^ a b “湧永新監督に玉村氏 ハンド男子元日本代表「強さを植え付ける」”. 中国新聞 (2011年5月18日). 2011年5月18日閲覧。

関連項目

先代
山口修
湧永製薬監督
(2011年-現在)
次代
n/a
1990年代
2000年代
  • 2000-01 白元喆
  • 2001-02 野村広明
  • 2002-03 朴性立
  • 2003-04 呉相民
  • 2004-05 呉相民
  • 2005-06 白元喆
  • 2006-07 神田友和
  • 2007-08 末松誠
  • 2008-09 末松誠
  • 2009-10 末松誠
2010年代
監督・コーチ
  • 野田清 (監督)
  • 津田昭 (コーチ)
選手
  • 井藤英忠
  • 奥田新治
  • 首藤信一
  • 高村誠一
  • 田口隆
  • 立木浩二
  • 玉村健次
  • 荷川取義浩
  • 西山清
  • 橋本行弘
  • 藤井泉
  • 宮下和広
  • 矢内浩
  • 山村敏之
  • 山本興道
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