浅野忠純

浅野 忠純(あさの ただずみ、文久3年6月25日(1863年8月9日) - 大正4年(1915年6月7日)は、明治時代から大正時代華族男爵)。安芸国広島藩筆頭家老で備後国三原領3万石の領主浅野忠英(敬五・ひろかず)の長男。幼名は哲吉[1]

経歴

父の隠居に伴い、明治9年(1876年)9月3日に家督を継ぐ[1]。明治33年(1900年)5月9日、男爵を叙爵。大正4年(1915年)53歳で没す。

著作

栄典

親族

出典

  1. ^ a b c d e f 『平成新修旧華族家系大成』上巻、27頁。
  2. ^ 『官報』号外「授爵叙任及辞令 浅野哲吉」1900年5月9日。

参考文献

日本の爵位
先代
叙爵
男爵
三原領浅野家初代
1900年 - 1915年
次代
浅野鐵馬
浅野鷹の羽紋三原浅野家第13代当主
宗家

分家・支流

長重流
長治流
長賢流
長忠流
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