末永聡一郎

末永 聡一郎(すえなが そういちろう、1914年4月21日 - 1985年8月14日)は、日本の経営者三菱重工業社長を務めた。福岡県出身[1]

経歴・人物

1947年東京帝国大学工学部を卒業し、三菱重工業に入社[1]。長崎造船所長を務め、1970年5月に取締役に就任した[1]。常務を経て、1977年6月に副社長に就任し、1981年6月に社長に昇格した[1]

1983年から日本航空宇宙工業会会長を務め、経済団体連合会常任理事も務めた[2][1]

1985年8月14日腎不全のために死去[2]。79歳没。

脚注

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  1. ^ a b c d e 興信データ株式會社 1985, す22頁.
  2. ^ a b 1985年 8月14日 日本経済新聞 夕刊 p9

参考文献

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第33版 上』興信データ、1985年。 
三菱重工業社長[1][2]
1884年 -
三菱商会(1873年)
- 長崎造船所(1884年)
- 三菱社(1885年)
 - 三菱合資会社(1884年)
- 三菱造船(1917年)
- 三菱重工業(1934年)
1950年 -
東日本重工業(1950年)
- 三菱日本重工業(1951年)
中日本重工業(1950年)
- 新三菱重工業(1951年)
西日本重工業(1950年)
- 三菱造船(1951年)
  • 丹羽周夫(1950年1月)
  • 佐藤尚(1959年5月) -
1964年
三菱重工業
  1. ^ 岩井良太郎『日本コンツェルン全書3:三菱コンツェルン読本』(1937年、春秋社国立国会図書館)、渋沢栄一記念財団『渋沢社史データベース』、野村インベスター・リレーションズ『三菱重工業の歴史』、他。
  2. ^ 1950年までで社長が明らかでないか不在の場合は、三菱財閥総帥もしくは三菱重工業会長、もしくは長崎造船所所長または支配人を含むか、或いは併記する。