慕容皇后

曖昧さ回避 この項目では、北魏の道武帝の皇后について説明しています。代王拓跋什翼犍(北魏の昭成帝)の妃、前燕慕容皝の娘、本記事の人物の祖父の姉妹については「昭成皇后慕容氏」をご覧ください。
慕容皇后
北魏の皇后
在位 400年 - 409年

配偶者 道武帝
氏族 慕容氏(後燕皇族
父親 慕容宝
母親 孟氏(溧陽君)
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慕容皇后(ぼようこうごう、生没年不詳)は、中国北魏道武帝皇后後燕の恵愍帝慕容宝の娘。母は妃嬪の孟氏(北魏で溧陽君となった)。

生涯

397年、慕容宝が中山で北魏軍に敗れた。公主の慕容氏は捕虜になるが、道武帝の後宮に入れられて寵愛を受けた。400年(天興3年)、左丞相の衛王拓跋儀らが皇后として立てるよう上奏した。道武帝は朝廷の議論を受け、慕容氏に金人を鋳造させると、完成後に金人が立ったため、皇后に立てた。

伝記資料