康資王
康資王 (やすすけおう) | |
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続柄 | 延信王(源延信)の王子 |
全名 | (やすすけ) |
身位 | 王・従四位上 |
出生 | 長久2年(1041年)?[1] 日本・山城国 |
死去 | 寛治4年9月20日(1090年10月15日) 日本・山城国 |
配偶者 | 藤原隆方の娘 |
不詳 | |
子女 | 源顕康 顕資王 源仁子 |
父親 | 源延信 |
母親 | 四条宮筑前(高階成順(乗蓮)の娘) |
役職 | 神祇伯 |
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康資王(やすすけおう、長久2年(1041年)? - 寛治4年9月20日(1090年10月15日))は、平安時代中期から後期にかけての皇族。花山天皇の曾孫。神祇伯・延信王の子。官位は従四位上・神祇伯。
経歴
花山天皇の曾孫にあたる三世の臣下として生まれる。しかし、後冷泉朝の天喜4年(1056年)既に薨去していた祖父・清仁親王の子に擬せられて、二世王待遇の蔭位により従四位下に直叙される。天喜6年(1058年)右京権大夫に任ぜられると、康平2年(1059年)神祇伯に遷った。
官歴
- 天喜4年(1056年) 正月5日:従四位下(直叙)[2]
- 天喜6年(1058年) 7月30日:右京権大夫[2]
- 康平2年(1059年) 10月22日:神祇伯[3]
- 時期不詳:従四位上[3]
- 寛治4年(1090年) 9月20日:卒去[4]
系譜
『尊卑分脈』による。
脚注
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