岩根清夫
岩根 清夫 | |
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生誕 | 1893年11月5日 日本 東京府 |
死没 | (1962-08-21) 1962年8月21日(68歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1915年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
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岩根 清夫(いわね きよお、1893年(明治26年)11月5日[1] - 1962年(昭和37年)8月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]。
経歴
1893年(明治26年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第27期卒業[3]。1940年(昭和15年)3月9日に陸軍歩兵学校附兼研究部部員に就任し[2]、8月1日に陸軍歩兵大佐に進級した[2]。1941年(昭和16年)9月1日に近衛歩兵第2連隊長に転じ[4]、1942年(昭和17年)4月に留守近衛師団司令部附を経て[2]、1943年(昭和18年)8月に陸軍歩兵学校附となった[2]。
1945年(昭和20年)6月10日に陸軍少将に進級し[2]、同年5月23日に編制された独立混成第116旅団(第1総軍・第12方面軍・第51軍)[5]の旅団長に7月5日に就任[3]。終戦時は茨城県鉾田に位置した[5]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]。
脚注
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