寛信

寛信(かんしん・かんじん、応徳元年(1084年)- 仁平3年3月7日(1153年4月2日))は、平安時代後期の真言宗の僧。父は参議藤原為房。勧修寺法務とも称される。

東大寺覚樹に三論教学を学び、勧修寺厳覚から真言宗小野流の奥義を受けた。1110年天永元年)勧修寺別当に就任し、勧修寺における法華八講の整備に力を注いだ。南都三会已講(さんえいこう)の功により1134年長承3年)権少僧都に任じられ、その後権大僧都に至った。この間東寺長者・法務、東大寺別当を歴任している。真言密教における事相に関する多くの著作を残した。

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時代・地域
曼荼羅
日本の主な宗派

(※は真言宗各山会
加入団体)
東密
古義真言宗系
東密
新義真言宗系
真言律
台密
信仰対象
思想・基本教義
仏典

大日経』・『金剛頂経』・『蘇悉地経』・『理趣経

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