大友親隆

 
凡例
大友親隆
時代 室町時代
生誕 不明
死没 文明2年7月15日(1470年8月11日[1]
別名 四郎
戒名 寶生寺殿成岩正全大禅定門
官位 従五位下
幕府 室町幕府豊後守護
氏族 大友氏
父母 父:大友親世
兄弟 持直、親棟、親隆、親直、親雄
大友親繁
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大友 親隆(おおとも ちかたか)は、室町時代中期の武将守護大名大友氏の14代当主。10代当主大友親世の三男。

生涯

兄である持直室町幕府から追討を受けたときは、新たに当主となった氏継系の13代当主親綱に従い、共に兄の追討軍に従軍している。のちに親綱から家督を譲られ当主となった。これは氏継系と親世系との宥和政策の一環であり、親隆ものちに家督を親綱の弟親繁に譲った。継承時期については諸説ありはっきりせず、家督交代後も親隆と親繁に争いがあったともいう。

偏諱を受けた人物

  • 大野基(おおの たかもと)- 豊後大神氏の一族、大野氏の当主。
  • 高田定(たかだ たかさだ)- 源重遠(清和源氏満政流)の末裔とされる高田基重(もとしげ)の子。続く親繁政親にも仕え、明応九年(1495年)の政親の長門攻めにおいて長府で戦死。子に義治(よしはる)。
  • 奈多実(なた たかざね)- 奈多氏は豊後国安岐郷にある八幡奈多宮の大宮司家であり、子孫に奈多鑑基などを輩出している。
  • 問註所康(もんぢゅうじょ たかやす)- 問註所氏当主。子孫に問註所統景など。

脚注

  1. ^ 『新訂寛政重修諸家譜2』
抱き杏葉紋豊後大友氏第14代当主(1439年 - 1444年?)
※後に高家として再興