伊東祐時

曖昧さ回避 この項目では、曾我兄弟に討たれた工藤祐経の子について説明しています。戦国時代の同名の人物については「伊東祐時 (豊臣家臣)」をご覧ください。
 
凡例
伊東 祐時
時代 鎌倉時代前期
生誕 文治元年(1185年
死没 建長4年6月17日(1252年7月24日
改名 犬房丸(幼名)、祐時
別名 工藤祐時、三郎
官位 従五位上左衛門尉大和
幕府 鎌倉幕府
主君 源頼朝頼家実朝藤原頼経
氏族 工藤氏伊東氏
父母 父:工藤祐経
兄弟 祐時安積祐長、工藤祐長、祐光
土肥遠平
早川祐朝、稲用祐盛、三石祐綱、田島祐明、長倉祐氏、祐光、門川祐景、木脇祐頼、稲用祐忠
テンプレートを表示

伊東 祐時(いとう すけとき)は、鎌倉時代前期の武将御家人日向伊東氏の祖。

生涯

幼名は犬房丸。建久4年(1193年)5月28日、曾我兄弟の仇討ちで父工藤祐経が曾我兄弟に討たれる。父を討った曾我時致は助命の動きもあったが、犬房丸が泣いて訴えた事により、時致の身柄は祐経の一族に引き渡されて処刑された。その後、幕府御家人として仕える。

承久3年(1221年)6月の承久の乱では幕府方の東海道軍に加わる。安貞元年(1227年)、御所内裏焼失の際、将軍御使として上洛した。

嘉禎元年(1235年)、従五位上検非違使左衛門尉、大和守に任じられた。

建長4年(1252年)、68歳で没。

参考文献

  • 『保元物語 平治物語 承久記』〈新日本古典文学大系〉岩波書店、1992年。
日向伊東氏初代当主

祐時 - 祐光 - 祐頼 - 祐宗 - 貞祐 - 祐持 - 祐熙 - 氏祐 - 祐安 - 祐立 - 祐堯 - 祐国 - 尹祐 - 祐充 - 祐吉 - 義祐 - 義益 - 祐兵 - 祐慶 - 祐久 - 祐由 - 祐実 - 祐永 - 祐之 - 祐隆 - 祐福 - 祐鐘 - 祐民 - 祐丕 - 祐相 - 祐帰 - 祐弘 - 祐淳 - 祐昭 -