中山親子

曖昧さ回避 中山千桂子」、「中山智香子」、あるいは「中山智香子 (経済学者)」とは別人です。

中山 親子(なかやま ちかこ、天正4年(1576年)? - 慶長13年2月11日(1608年3月27日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての女性。

権大納言中山親綱の娘で、母親は白川雅業王女。後陽成天皇典侍となり、大典侍局(おおすけのつぼね)と呼ばれた。

天正16年5月5日(1588年5月29日)に第一皇子の良仁親王(覚深入道親王)を、同19年2月14日(1591年4月7日)に第二皇子の承快法親王を生んだ。

慶長13年に死去した。享年33歳。法号は青雲院向月理玉大姉[1]

脚注

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  1. ^ 東京大学史料編纂所「中山・花山院家関係史料にみる中世文化情報の継承過程についての研究」(2020年5月31日閲覧)