レオ・マゾーニー

レオ・マゾーニー
Leo Mazzone
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ウェストバージニア州
生年月日 (1948-10-16) 1948年10月16日(75歳)
選手情報
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
  • ブルース高等学校
  • アルガニー・カレッジ・オブ・メリーランド(英語版)
コーチ歴
この表について
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プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

レオ・マゾーニーLeo Mazzone, 1948年10月16日 - )は、アメリカ合衆国ウェストバージニア州出身の元プロ野球選手、元野球指導者。

投手コーチとしてのその卓越した手腕により「史上屈指のピッチング・インストラクター」と言われる。

経歴

1967年から1975年までマイナーリーグで投げ続けるも、メジャーには昇格できず。引退した翌年からマイナーの監督を務め、1979年からはマイナーの投手コーチとして、アトランタ・ブレーブスに入団。

1985年にはメジャーの投手コーチに昇格するも、一年でマイナーに逆戻りする。しかし、1990年に再び昇格。後の名将であるボビー・コックス監督と共に昇格し、以降16年間にわたり投手コーチを務める。

コックス監督の盟友として良き相談役となったり、名GMと言われるジョン・シャーホルツが見極めて獲得してきた選手を育成・再生するなど手腕を発揮。グレッグ・マダックストム・グラビンジョン・スモルツら史上最高の3本柱を作り上げ、デニー・ネイグル、クリス・ハモンドを育てた。資金削減策に苦戦した2000年代にはマイク・ハンプトンホルヘ・ソーサ、ジョン・トムソン、ジャレット・ライトを建て直すなど投手王国建設に力を入れ、チームの14連覇に大きく貢献。

2006年からはボルチモア・オリオールズの投手コーチに就任。エリック・ベダードジェレミー・ガスリーアダム・ローウェンを育てたが、成績不振は脱せず。3年契約だったが、2年で解雇された。

2016年8月より、サウスカロライナ州にあるファーマン大学(英語版)野球部の特別顧問を務めている[1]

功績・評価

「外角低めにファーストボールを集める」「8割の力で投げ、球数を多く」を信条に、数多くの選手を育成・復活させてきた。

90年代はブレーブスの投手陣がタイトルを独占しており、サイ・ヤング賞は10年間の内6度、最多勝は8度獲得している。チーム全体の防御率もマゾーニーが在籍していた16年間のうち、リーグトップが10回。2位も2回あり、就任した直後の1990年が最下位だったこと、2003年が9位だったこと以外はほぼ完璧となっている。

脚注

  1. ^ “Leo Mazzone - Special Advisor - Baseball Coaches”. Furman University. 2022年1月5日閲覧。

外部リンク

  • 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference (Register)
アトランタ・ブレーブス 1995年のワールドシリーズ ロースター
   

選手
02 ラファエル・ベリアード
07 ドワイト・スミス
08 ハビー・ロペス
09 マーキス・グリッソム
10 チッパー・ジョーンズ
11 チャーリー・オブライエン
16 マイク・モーデカイ
17 ルイス・ポローニャ
18 ライアン・クレスコ
20 マーク・レムキー
23 デビッド・ジャスティス

24 マイク・デベロー
26 アレハンドロ・ペーニャ
27 フレッド・マグリフ
29 ジョン・スモルツ
31 グレッグ・マダックス
33 スティーブ・エイベリー
38 グレッグ・マクマイケル
43 マーク・ウォーラーズ
47 トム・グラビンシリーズMVP
50 ケント・マーカー
51 ペドロ・ボーボン・ジュニア
52 ブラッド・クロンツ

監督
06 ボビー・コックス

コーチ
22 ジミー・ウィリアムズ(三塁)
28 クラレンス・ジョーンズ(打撃)
37 ジム・ビーチャム(ベンチ)
39 パット・コラレス(一塁)
52 ネッド・ヨスト(ブルペン)
54 レオ・マゾーニー(投手)
59 フランク・フルツ(ストレングス)