ジェイムズ・サミュエル・オックスフォード

ジェイムズ・サミュエル・オックスフォードJames Samuel Oxford1880年(明治13年) - 1943年(昭和18年))はアメリカ合衆国ルイジアナ州[1]、またはテキサス州生まれのプロテスタントメソジスト宣教師テネシー州ヴァンダービルト大学[1]パルモア学院の院長を務め、「学院の事実上の建設者」[2]と呼ばれた。

経歴

明治43年(1910年)に来日し[1]、パルモア学院に赴任。大正元年(1912年)に院長となり、昭和16年(1941年)3月に[3]時局の為帰国するまでその地位にあった。帰国後パナマに赴任するが病気となり[4]、「戦争が恐ろしいのは、われわれが今も日本の友人を愛していることを知らせられないことだ」[2]と残して病没した。

出典

  1. ^ a b c 大加茂巧 「石井卓爾の時代と英語教育」 (学校法人パルモア学院出版部 2012年3月) 59頁
  2. ^ a b 宮崎明治 (1983). "オックスフォード". In 神戸新聞出版センター (ed.). 兵庫県大百科事典. pp. 410(上). ISBN 4-87521-100-7
  3. ^ 大加茂巧 「石井卓爾の時代と英語教育」 (学校法人パルモア学院出版部 2012年3月) 72頁
  4. ^ 大加茂巧 「石井卓爾の時代と英語教育」 (学校法人パルモア学院出版部 2012年3月) 73頁
明治後期・大正・昭和初期の来日宣教師(1890年 - 1945年)
日本のキリスト教史
カトリック教会
パリ外国宣教会
イエズス会
正教会
日本ロシア正教伝道会社

アンドロニク・ニコリスキイ(1907) · セルギイ・チホミーロフ(1908)

聖公会
CMS
米国聖公会
聖ヨハネ修士会
改革・長老派
米国長老教会
米国オランダ改革派
南長老ミッション
ドイツ改革派教会
メソジスト派
米国メソジスト監督

C・A・ヒューエット(1897) · A・D・ベリー(1902) · E・T・アイグルハート(1904) · アルバータ・スプロールズ(1906) · C・W・アイグルハート(1909)

米国南メソジスト監督

J・S・オックスフォード(1910)

美普教会
会衆派
アメリカン・ボード

C・B・デフォレスト(1903) · E・L・コー(1911) · E・L・ヒバード(英語版)(1929)

バプテスト派
ABMU
南部バプテスト
米国婦人バプテスト
ルーテル教会
南部一致ルーテル
フレンド派
ディサイプル派
ディサイプルス
CC
きよめ派
日本伝道隊
東洋宣教会
救世軍

E・ライト(1895) · W・ブース(1907)

アライアンス
C&MA

T・ギューリック(1895) · H・リンドストロム(1900) · メーベル・フランシス(1909)

フェイス
スカンジナビア
聖霊派
AOG
超教派
新神学
ドイツ普及

K・M・シラー(1895) · E・シュレーダー(1908) · J・フンチケル(1914)

関連事項
キリスト教ポータル