アメリカ合衆国のファーストファミリー

アメリカ合衆国のファーストファミリーは、アメリカ合衆国元首であり政府の長でもあるアメリカ合衆国大統領の家族のことである。ファーストファミリーの構成員は大統領とその配偶者であるファーストレディ、およびその子供たちである。しかしながら大統領夫妻の親、孫、継子、義親といった近親者がホワイトハウスエグゼクティヴ・レジデンス(英語版)に居住している場合には彼らもファーストファミリーの一員として分類される場合がある。

アメリカ合衆国では大統領の直系の家族を指す「ファーストファミリー」という言葉がメディア、特にホワイトハウス記者団(英語版)により頻繁に使用される。ファーストファミリーはシークレットサービスの警護対象となり、各々にコードネーム(英語版)が与えられる。

一覧

肖像 ファーストファミリー 在任期間 大統領とファーストレディ
子供と家族
備考
1 わしんとん しようし ジョージ・ワシントンの家族 1789年4月30日
-
1797年3月4日
ジョージマーサ・ワシントン
ネリー(英語版)ジョージ(英語版)
1989年の大統領就任時点では連邦市が完成しておらず、1785年から1790年のあいだはアメリカ合衆国の首都はまずニューヨークに置かれ、その後の1790年から1800年のあいだは連邦政府機能はフィラデルフィアに移された。したがってファーストファミリーが建設途中のホワイトウスに住むことはなかった。1789年4月から1790年2月までのあいだにファーストファミリーはニューヨークのブロードウェイ通り39-41番地にあるアレキサンダー・マコンブ邸に住んでいた。フィラデルフィア時代にはハイ・ストリート190番地のロバート・モリス邸がファーストファミリーの居住地として借りられた。ワシントンは生涯にわたって子供をもうけなかったが、マーサとその前夫のダニエル・パーク・カスティス(英語版)とのあいだに生まれたジャックとパッツィを養子として迎えた。またワシントンはマーサの末孫のネリーとジョージも育てた。
2 あたむす しよん ジョン・アダムズの家族 1797年3月4日
-
1801年3月4日
ジョンアビゲイル・アダムズ
ナビー(英語版)ジョン・クィンシーチャールズ(英語版)トーマス(英語版)
アダムズの家族はアイルランド人建築家のジェームズ・ホーバンが設計し、新築されたホワイトハウス(当時の名称はプレジデンツ・ハウス)に史上初めて居住した。1797年にアダムズ大統領は長男のジョン・クインシーを駐プロイセン公使に任命した。1800年に次男のチャールズがアルコール依存症により死亡した。ジョン・クインシーは1824年の大統領選挙に勝利し、その翌年に就任した。
3 しえふああそん とうます トーマス・ジェファーソンの家族 1801年3月4日
-
1809年3月4日
トーマス・ジェファーソンマーサ・ランドルフ (娘)
メアリー(英語版)
ジェファーソンの妻のマーサ・ウェイルズ・スケルトン・ジェファーソンは1782年に6人目の子供を出産した直後に亡くなったため、大統領在任中は娘のマーサがファーストレディの役割を務めた。ジェームズ・マディソンの妻のドリー・マディソンがホワイトハウスのホステスとして活動した。ジェファーソンの6人の子供のうち、成人するまで生存したのはマーサとメアリーのみであった。
4 まていそん しえいむす ジェームズ・マディソンの家族 1809年3月4日
-
1817年3月4日
ジェームズドリー・マディソン
ジョン(英語版)
ファーストレディとなる前のドリー・マディソンはクエーカー教徒で弁護士のジョン・トッドと結婚し、ジョン・ペイン・トッドとウィリアム・テンプル・トッドをもうけたが、1973年にフィラデルフィアで黄熱病が流行した際に夫と次男は急死した。翌1794年に彼女はマディソンの求婚を受け入れ、マディソンは彼女の長男のジョンを養子に迎えた。ドリーは米英戦争の際のホワイトハウス焼き討ちの前に貴重な美術品、陶磁器、銀食器、ギルバート・ステュアートによるジョージ・ワシントンの肖像画(英語版)を持ち出し、保存したことで賞賛されている。
5 もんろう しえいむす ジェームズ・モンローの家族 1817年3月4日
-
1825年3月4日
ジェームズエリザベス・モンロー
エリザ(英語版)マリア(英語版)
大統領任期中、病弱なファーストレディのエリザベスに代わって長女のエリザがホワイトハウスの公式ホステスを務めることがしばしばあった。傲慢で尊大な社交家として知られていたエリザは外交団の夫人たちを招くという慣習に従わなかったため、すぐにワシントン社会の人々から疎まれることとなった。また妹マリアの結婚式を家族と友人以外には公開しなかったことは論争を呼んだ。マリアはジェームズの大統領当選時はまだ子供だったが、1819年に学校を卒業すると公邸に入居した。1820年にマリアはいとこのサミュエル・L・ガバヌーア(英語版)と結婚し、史上初めてホワイトハウスで結婚式を挙げた。ジェームズとエリザベスは他に息子のジェームズをもうけていたが、就任前の幼児期に亡くなっている。
6 あたむす しよん くいんしい ジョン・クィンシー・アダムズの家族 1825年3月4日
-
1829年3月4日
ジョン・クィンシールイーザ・アダムズ
ジョージ、ジョン、チャールズ・フランシス
ジョン・クィンシーは第2代大統領のジョン・アダムズアビゲイル・アダムズの長男である。長男のジョージはアルコール依存症、女遊び、うつ病といった問題を抱え、父の大統領任期最終年である1829年に自殺とみられる状況で亡くなった。ルイーザは史上初の外国生まれのファーストレディである。
7 しやくそん あんとりゆう アンドリュー・ジャクソンの家族 1829年3月4日
-
1837年3月4日
アンドリュー・ジャクソン
アンドリュー・ジュニア、ダニエル、アンドリュー、アンドリュー、エリザ、エドワード
ジャクソンの妻レイチェルは大統領当選直後に亡くなった。任期中はジャクソンの姪のエミリー・ドネルソンと義娘のサラ・ヨーク・ジャクソンがホワイトハウスのホステスを務めた。
8 うあん ひゆうれん まあていん マーティン・ヴァン・ビューレンの家族(英語版) 1837年3月4日
-
1841年3月4日
マーティン・ヴァン・ビューレン
アンジェリカ・シングルトン(英語版) (義娘)
エイブラハム(英語版)ジョン・ヴァン・ビューレン(英語版)、マーティン、スミス
マーティンの妻ハンナは1819年に結核で亡くなっており、大統領任期中はファーストレディは不在であった。長男エイブラハムの妻のアンジェリカ(ドリー・マディソンのいとこ)がホワイトハウスの行事中にホステスを務めた。
9 はりそん ういりあむ ウィリアム・ヘンリー・ハリソンの家族 1841年3月4日
-
1841年4月4日
ウィリアム・ヘンリーアンナ・ハリソン(英語版)
エリザベス・バセット、ジョン・スコット、メアリー・シンムズ、アンナ・タットヒル
ハリソン夫妻のあいだには10人の子供がいたが、大統領就任時に生存していたのは4人だけであった。ウィリアム・ヘンリー自身は就任宣誓から31日後に風邪をこじらせて亡くなっており、歴代大統領で最短の在任期間となっている。息子のジョン・スコットは第23代大統領のベンジャミン・ハリソンの父である[1]
10 たいらあ しよん ジョン・タイラーの家族 1841年4月4日
-
1845年3月4日
ジョンレティティア・タイラー(英語版) (1842年没)ジュリア・タイラー(英語版) (1844年結婚)
メアリー、ロバート(英語版)、ジョン、レティティア(英語版)、エリザベス、アリス、タッツウェル
任期中に2人のファーストレディが存在した。最初の妻のレティティアは1939年に半身不随となり、ファーストレディとなった後もホワイトハウス2階の居住区に留まり、1階に降りたのは1842年1月に娘のエリザベスの結婚式に出席した時だけであった。1842年9月10日夜にレティティアは亡くなった。死亡時に51歳だったがこれは歴代のファーストレディとしては最短命である。ジョンとレティティアのあいだにはメアリー・タイラー=ジョーンズ、ロバート・タイラー(ホワイトハウスで大統領私設秘書を務める)、ジョン・タイラー3世、レティティア・タイラー=センプル(英語版)、エリザベス・タイラー=ウォーラー(1942年にホワイトハウスでウィリアム・N・ウォーラーと結婚式を挙げる)、アリス・タイラー=デニソン、タッツウェル・タイラーが生まれた。2人目の妻ジュリアは1844年6月26日に結婚した。結婚時にジュリアは24歳、ジョンは54歳であった。ジョンとジュリアのあいだにはデヴィッド・ガーディナー・タイラー(英語版)、ジョン・"アレックス"・アレクサンダー・タイラー、ジュリア・ガーディナー・タイラー=スペンサー、ラクラン・ガーディナー・タイラー、ライアン・ガーディナー・タイラー(英語版)、ロバート・"フィッツ"・フィッツワルター・タイラー、パール・タイラー=エリスが生まれた。2021年5月時点で孫のハリソン・ラフィン・タイラー(ライアンの息子)が存命である。
11 ほうく しえいむすK ジェームズ・K・ポークの家族 1845年3月4日
-
1849年3月4日
ジェームズサラ・ポーク(英語版) ポークは実子、養子、継子をもたなかった現在までで唯一の大統領夫妻である。しかしながらジェームズの死後にサラは姪のサラ・ポーク・フォール(英語版)を養子とした。
12 ていらあ さかりい ザカリー・テイラーの家族 1849年3月4日
-
1850年7月9日
ザカリーマーガレット・テイラー
アン、ベティ(英語版)、リチャード
ファーストレディのマーガレットは半病人となって公邸の2階に閉じこもり、公務は娘のメアリー・エリザベスが行っていた。1849年から1950年までホワイトハウスで奴隷を所有していた最後の大統領一家であった。
13 ふいるもあ みらあと ミラード・フィルモアの家族 1850年7月9日
-
1853年3月4日
ミラードアビゲイル・フィルモア
ミラード(英語版)マリー(英語版)
1850年から1853年までの大統領任期中、アビゲイルは病気を患っていたために娘のマリーがホワイトハウスの多くの行事でホステスを務めた。アビゲイルは1853年に夫の後任のフランクリン・ピアースの大統領就任式の際に風邪を引き、翌日には熱を出してしまう。その後肺炎を発症し、1853年3月30日に亡くなった。
14 ひああす ふらんくりん フランクリン・ピアースの家族 1853年3月4日
-
1857年3月4日
フランクリンジェーン・ピアース(英語版) 息子のベンジャミンはピアースの就任式の2ヶ月前に列車事故で亡くなった。ホワイトハウス入りしたジェーンは在任期間のほとんどを自室で過ごし、亡くなった息子への手紙を書いていた。
15 ふきやなん しえいむす ジェームズ・ブキャナンの家族 1857年3月4日
-
1861年3月4日
ジェームズ・ブキャナン ジェームズ・ブキャナンは生涯にわたって独身であり、また子供ももうけなかった。彼の姪のハリエット・レーンがファーストレディを務め、ホワイトハウスの行事でホステスとして活動した。
16 りんかあん えいふらはむ エイブラハム・リンカーンの家族 1861年3月4日

1865年4月15日
エイブラハムメアリー・トッド・リンカーン
ロバート・トッドウィリータッド
1862年、三男のウィリーは悪天候の中でボニーに乗った後に発病した。ウィリーの体調は日増しに変貌していった。この病気の原因は汚染された飲料水から感染した腸チフスの可能性が高い。次第にウィリーは弱り、1862年2月20日に亡くなった。二男のエドワードは1850年に亡くなっているが、その死因はエイブラハムとその兄弟が持っていたと思われる遺伝的な癌である多発性内分泌腺腫症2B型(英語版)甲状腺髄様がん(英語版)と呼ばれる消耗性疾患の可能性が高い。1871年に末息子のタッドが結核のために18歳で亡くなった。リンカーン夫妻の4人の子のうち成人まで生存したのはロバートのみであり、1926年に亡くなった。大統領任期中、メアリー・トッドは激しい頭痛に悩まされた。1862年にウィリーを亡くしたことや南北戦争で兄弟が戦死したことは彼女の鬱病を長引かせ、さらに馬車の事故で頭に重傷を負った。鬱病に加えて彼女は時折理不尽な行動をとり、暴言を吐くこともあった。
17 しよんそん あんとりゆう アンドリュー・ジョンソンの家族 1865年4月15日

1869年3月4日
アンドリューイライザ・ジョンソン(英語版)
マーサ(英語版)、メアリー、ロバート、アンドリュー・ジュニア
18 くらんと ゆりしいすS ユリシーズ・S・グラントの家族 1869年3月4日

1877年3月4日
ユリシーズジュリア・グラント(英語版)
ジェシー(英語版)ユリシーズ・ジュニアネリー(英語版)フレデリック(英語版)
グラント家は奴隷の所有歴がある最後の大統領家である。グラントは南北戦争中に奴隷を所有していたが、直後に解放した。
19 へいす らさふおうとB ラザフォード・B・ヘイズの家族 1877年3月4日

1881年3月4日
ラザフォードルーシー・ヘイズ(英語版)
バーチャード、ウェッブ(英語版)ラザフォード(英語版)、ファニー、スコット
20 かあふいいると しえいむすA ジェームズ・A・ガーフィールドの家族 1881年3月4日

1881年9月19日
ジェームズルクレティア・ガーフィールド
ハリー(英語版)ジェームズ(英語版)、メアリー、アーヴィン、エイブラム(英語版)
21 ああさあ しえすたあA チェスター・A・アーサーの家族 1881年9月19日

1885年3月4日
チェスター・A・アーサー
チェスター2世(英語版)、エレン
チェスターの妻ネルは1880年11月に亡くなり、その翌1881年9月に彼は大統領に昇任した。
22 くりいふらんと くろはあ グロバー・クリーブランドの家族 1885年3月4日

1889年3月4日
グロバーフランシス・クリーブランド (1886年結婚) フランシスは歴代ファーストレディの中では最も若く、1886年6月2日の結婚時点で21歳であった。クリーブランド夫妻は1期目が終わってホワイトハウスを出る際にスタッフに「4年後に戻ったときにこのままの状態がいいので全てに気を配ってください」と言い残した。
23
はりそん へんしやみん ベンジャミン・ハリソンの家族 1889年3月4日

1893年3月4日
ベンジャミンキャロライン・ハリソン(英語版)
ラッセル(英語版)メアリー
[1]
24 りいふらんと くろはあ グロバー・クリーブランドの家族 1893年3月4日

1897年3月4日
グロバーフランシス・クリーブランド
ルース(英語版)エスター(英語版)、マリオン
1893年に生まれたエスターは史上初めてホワイトハウス内で出産された大統領の子であった。
25 まつきんりい ういりあむ ウィリアム・マッキンリーの家族 1897年3月4日

1901年9月14日
ウィリアムアイダ・マッキンリー(英語版)
26 るうすへると せおとあ セオドア・ルーズベルトの家族 1901年9月14日

1909年3月4日
セオドアイーディス・ルーズベルト(英語版)
セオドア・ジュニア(英語版)カーミット(英語版)エセル(英語版)アーチー(英語版)クエンティン(英語版)
1906年、セオドアの長女のアリス・ルーズベルト・ロングワース(英語版)がホワイトハウスでニコラ・ロングワース(英語版)と結婚した。アリスは1884年に出産時の合併症とブライト病により亡くなったアリス・ハサウェイ・リー・ルーズベルトとの間にできた子である。1933年に第32代大統領に就任するフランクリン・D・ルーズベルトはセオドアの五従兄弟である[2]
27 たふと ういりあむはわあと ウィリアム・ハワード・タフトの家族 1909年3月4日

1913年3月4日
ウィリアム・ハワードヘレン・タフト(英語版)
ロバートヘレン(英語版)チャールズ2世(英語版)
1909年にヘレン夫人が脳卒中で倒れると長女のヘレンがエグゼクティヴ・レジデンス(英語版)に移り住み、母の体調復帰を支援した。またヘレンは母が体調を崩している間はホワイトハウスの多くの行事で公式のホステスを務めた。末息子のチャールズは父の大統領就任と同時に12歳でエグゼクティヴ・レジデンスに引っ越した。
28 ういるそん うつとろう ウッドロウ・ウィルソンの家族 1913年3月4日

1921年3月4日
ウッドロウエレノア(英語版) (1914年死別)イーディス・ウィルソン(英語版) (1915年再婚)
マーガレットジェシーエレノア
1913年11月25日、二女のジェシーはフランシス・ボウズ・セイアーとホワイトハウスで結婚した。1915年1月17日、ジェシーは息子のフランシス・B・セイアー・ジュニア(英語版)をホワイトハウスで出産した。1914年5月7日、三女のエレノアは父の政権下で財務長官を務めるウィリアム・マカドゥーと結婚した。ウィルソン政権では2人のファーストレディが存在した。ウッドロウの最初の妻のエレンは1914年8月6日にブライト病の合併症によりホワイトハウスでなくなった。翌1915年にウッドロウはイーディスと再婚した。1914年のエレン死去から1915年のイーディスとの再婚までのあいだは長女のマーガレットがファーストレディの役割を果たした。
29 はあていんく うおれんG ウォレン・G・ハーディングの家族 1921年3月4日

1923年8月2日
ウォレンフローレンス・ハーディング(英語版) ハーディング夫妻は子供をもうけなかったが、ウォレンは愛人のナン・ブリットンとのあいだにエリザベス・アン・ブリットン(英語版)という非嫡出娘をもうけた。フローレンスは前夫とのあいだいに息子のマーシャル・ユージーン・デウォルフェをもうけていたが、彼は1915年1月1日にアルコール依存症結核の合併症で34歳で亡くなった。
30 くうりつし かるひん カルビン・クーリッジの家族 1923年8月2日

1929年3月4日
カルビングレース・クーリッジ
ジョン(英語版)、カルビン・ジュニア
二男であるカルビン・ジュニアは1924年の選挙戦の最中に亡くなった。2000年まで存命だった長男のジョンはコネチカット州知事のジョン・H・トランブル(英語版)の娘と結婚した。
31 ふううああ はあはあと ハーバート・フーヴァーの家族 1929年3月4日

1933年3月4日
ハーバートルー・ヘンリー・フーヴァー(英語版)
ハーバート・ジュニア(英語版)アラン
32 るうすへると ふらんくりんD フランクリン・D・ルーズベルトの家族 1933年3月4日

1945年4月12日
フランクリンエレノア・ルーズベルト
アナ(英語版)ジェームズエリオットフランクリン・ジュニアジョン
1937年に長男のジェームズがエグゼクティヴ・レジデンスに入居し、ウエストウイングでの顧問と私設秘書を務めた。1944年にはフランクリンの要請により娘のアナがエグゼクティヴ・レジデンスに入居して大統領補佐役となり、またエレノアの頻繁な不在の際はホワイトハウスのホステスを務めた。三男にあたるフランクリン・デラノ・ルーズベルト・ジュニアが1909年に生後8ヶ月で亡くなっている[2]
33 とるうまん はりいS ハリー・S・トルーマンの家族 1945年4月12日

1953年1月20日
ハリーベス・トルーマン
マーガレット
ホワイトハウスの内装の全面修復が行われていた1948年から1952年の間、トルーマン一家はラファイエット公園の近くにある外国の元首や政府関係者の公式な迎賓施設であるブレアハウスに居住した。
34 あいせんはわあ とわいとD. ドワイト・D・アイゼンハワーの家族 1953年1月20日

1961年1月20日
ドワイトマミー・アイゼンハワー
ジョン
アイゼンハワー夫妻は結婚39周年の日にペンシルベニア州ゲティスバーグの農場で左の写真を撮影した。アイゼンハワー夫妻の長男のダウドは1921年に猩紅熱で亡くなった。唯一の生存した息子のジョン・アイゼンハワーはホワイトハウスのスタッフ秘書補佐官、陸軍参謀、ホワイトハウスでのアンドリュー・グッドパスター(英語版)将軍の補佐など様々な役割を果たした。
35 けねてい しよんF ジョン・F・ケネディの家族 1961年1月20日

1963年11月22日
ジョンジャクリーン・ケネディ
キャロラインジョン・ジュニアパトリック(英語版)
1956年にケネディ夫妻のもとに生まれた長女アラベラは死産であった。1963年8月7日に生まれた二男のパトリック(英語版)は早産であり、この2日後にヒアリン膜症で亡くなった。1999年にジョン・ジュニアが飛行機事故(英語版)で亡くなったことにより、キャロラインがケネディ夫妻の子で最後の存命者となった。
36 しよんそん りんとんB リンドン・B・ジョンソンの家族 1963年11月22日

1969年1月20日
リンドンレディ・バード・ジョンソン
リンダ・バードルーシー
長女のリンダは後に第64代バージニア州知事となるチャールズ・S・ロッブ(英語版)と1967年12月9日にホワイトハウスのイーストルームで結婚した。
37 にくそん りちやあと リチャード・ニクソンの家族 1969年1月20日

1974年8月9日
リチャードパット・ニクソン
トリシアジュリー
ニクソンの長女トリシアは1971年6月12日にホワイトハウスのローズ・ガーデン(英語版)エドワード・コックスと結婚した。二女のジュリーはドワイト・D・アイゼンハワーの孫のデイヴィッド・アイゼンハワーと結婚した。
38 ふおうと しえらると ジェラルド・フォードの家族 1974年8月9日

1977年1月20日
ジェラルドベティ・フォード
スーザン、マイケル、ジャック、スティーヴン
フォード夫妻の娘のスーザンはホワイトハウス居住時は高校生であった。息子のマイケル、ジャック、スティーヴンは1974年に一家がエグゼクティヴ・レジデンスに入居した時点で既に成人であった。
39 かあたあ しみい ジミー・カーターの家族 1977年1月20日

1981年1月20日
ジミーロザリン・カーター
ジョン、ジェームズ3世、ドネル、エイミー
カーター夫妻の息子のジョン、ジェームズ3世、ドネルは1977年に一家がエグゼクティヴ・レジデンスに入居した時点で既に成人であった。娘のエイミーは1961年から1963年のケネディ家以来となるホワイトハウスに居住した子供である。
40 れいかん ろなると ロナルド・レーガンの家族 1981年1月20日

1989年1月20日
ロナルドナンシー・レーガン
モーリーンマイケルパティロン
モーリーンとマイケルは最初の妻で女優のジェーン・ワイマン、パティとロンは2人目の妻のナンシーとの子である。
41 ふつしゆ しようしHW ジョージ・H・W・ブッシュの家族 1989年1月20日

1993年1月20日
ジョージバーバラ・ブッシュ
ジョージ・Wジェブニールマーヴィンドロシー
ブッシュ夫妻の長女のロビン(英語版)は1953年に白血病で亡くなっている。この他のファーストファミリーの面々にはファーストマザーのドロシー・ウェア・ウォーカー・ブッシュ(1992年没)、ファーストグランドサンのジョージ(英語版)、ジェビィ、ピアース、サミュエル・ルブロン、ファーストドーターのバーバラジェンナ、ノエル、ローレン、アシュリ-、エリー・ルブロンがいる[3]
42 くりんとん ひる ビル・クリントンの家族(英語版) 1993年1月20日

2001年1月20日
ビルヒラリー・クリントン
チェルシー
チェルシーはアーカンソー州のファーストドーターとして生まれた。生まれてから2001年にビルが退任するまでのうち、チェルシーに非公式な肩書きがなかった期間はビルのアーカンソー州知事1期目と2期目の間のみである。ヒラリーが上院議員に就任した2001年1月3日からビルが退任した2001年1月20日までの17日間はチェルシーがファーストレディとしての公務を行っていた。ヒラリーは史上初めて大統領選挙で主要政党の指名候補者となった女性である。
43 ふつしゆ しようしW ジョージ・W・ブッシュの家族 2001年1月20日

2009年1月20日
ジョージ・Wローラ・ブッシュ
バーバラジェンナ
二卵性双生児のバーバラとジェンナは1989年1月20日から1993年1月20日までの間はファーストグランドドーターでもあった。バーバラとジェンナは祖父ジョージ・H・W・ブッシュの大統領就任時は7歳、退任時は11歳であった。さらに13歳だった1995年から19歳だった2001年まではテキサス州のファーストドーターでもあった。バーバラとジェンナはホワイトハウスに住まず、父の大統領任期中は大学に通っていた。ジェンナは2008年5月10日にテキサス州クロフォードのプレーリー・チャペル・ランチ(英語版)でヘンリー・チェイス・ヘイガーと結婚した[3]
44 おはま はらく バラク・オバマの家族(英語版) 2009年1月20日

2017年1月20日
バラクミシェル・オバマ
マリア、サーシャ
ミシェルの実母でバラクの義母にあたるマリアン・シールズ・ロビンソン(英語版)もファーストファミリーと共にホワイトハウスのエグゼクティヴ・レジデンスに住んだ。彼らは史上初めてホワイトハウスに住んだアフリカ系アメリカ人の家族である。
45 とらんふ となると ドナルド・トランプの家族 2017年1月20日

2021年1月20日
ドナルドメラニア・トランプ
ドナルド・ジュニアイヴァンカエリックティファニーバロン
ドナルド・ジュニアとイヴァンカとエリックはドナルドの最初の妻のイヴァナ、ティファニーは2番目の妻のマーラ、バロンは3番目の妻のメラニアとの子である。バロンは1963年のジョン・F・ケネディ・ジュニア以来となるホワイトハウスに居住した大統領の息子であるが、2017年1月から6月まではマンハッタンのコロンビア・グラマー&プレパラトリー・スクール(英語版)に通うために母と共にトランプ・タワーに残った[4]。メラニア・トランプはルイーザ・アダムズに次いで史上2人目の外国生まれのファーストレディであり、また帰化人として初のファーストレディでもある。
46 はいてん しよう ジョー・バイデンの家族 2021年1月20日

現職
ジョージル・バイデン
ハンターアシュリー
ハンターはジョーの前妻ネイリア・ハンター、アシュリーは2番目妻のジルとの子である。この他の子に2015年に癌で亡くなったボー、1972年に前妻ネイリアと共に交通事故死したナオミがいた。

参考文献

  1. ^ a b “Benjamin Harrison – Presidential Site”. www.presidentbenjaminharrison.org. 2018年5月17日閲覧。
  2. ^ a b 10 things you may not know about the Roosevelts – History.com
  3. ^ a b Bush Family Tree – Wall Street Journal
  4. ^ Haberman, Maggie (2016年11月20日). “Melania and Barron Trump Won’t Immediately Move to White House”. The New York Times. 2016年11月21日閲覧。
大統領
  • 年齢
  • 自伝(英語版)
  • 埋葬地(英語版)
  • 死亡
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  • 肖像画(英語版)
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